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ナムジャイブログ

2019年05月02日

平成という時代は

5月1日メーデーで休日、家人が出払っていて何もすることがない私は、普段昼間から
ビールなど飲んだことがないのだが、暑さのせいか何となくビールが飲みたくなり、
つまみに落花生を煎って一杯やり始めた。
ビールを1本開けた頃、ふと「今日は令和への改元の日であった」ことを思い出し、
PCを開いてニュースを見始めた。
実況中継の合間に、前日の「退位の義」の様子も見ることができた。
平成という時代は
こうして見ると陛下も
皇后様も老けられたもので
あるが、憲政始まって
以来の天皇譲位に対し、
よくぞ決心したと思った。











昭和の御代から平成に移ったのが30年前である。
まだ正月気分の抜けきらない1989年の1月7日、昭和天皇の崩御のニュースを、
家なのか車の中で聞いたのかもう思い出せないが、あれから30年、平成の時代が
私にとって何だったのか考えてしまう。
1989年と言えば、私はまだ40歳で静岡に家を建ててしばらく経った頃であり、
嫁さん(前の)と男の子3人の4人暮らしであった。
この平成という時代は、私にとってそれまであまり波風のなかった私にとって、波乱の
時代でもあったように思える。
中間管理職(係長)をやっていて、海外支援なんかもこのころから頻繁に出かける
ようになり、やがて昇格試験で管理職に。
そうしてタイ赴任、3年半タイでの仕事をやった後帰任し、それまでの開発関係から
国際本部などという海外支援部署に異動後、中国(上海)へ行ったり来たり。
この間に男の子3人を大学卒業させ、病身の母の面倒を見るため、依願退職したの
だが会社は定年扱いとしてくれた。
2006年退職したものの、母親の病状も回復し職探しにハローワークなど行っても
ロクなところがなく、既に知り合っていた今の嫁さんがいるタイに来て職探し。
前の会社が見つかったのでいったん日本へ帰って再びタイへ。

タイに来てから再婚し、ミヤさんの兄弟として育てられていた2人の子供を引き取って
日本姓に変え(日本の戸籍には入っておらず、養子扱いにはしていない)、2011年に
嫁さん名義であるシラチャに家を建ててここまで来た。

自分は何をやってきたんだろうか?どこか浮草みたいな気分でいたんではないの
だろうか?とビール片手に考えてしまった。
この先どこへも流れようもなく、流れるとしたら骨になった「もの」をサタヒップの海に
流してもらうだけだろう。
墓などいらない。 
私が生きた証は、ミヤさんと子供たちの日本姓で生きている。

午後3時半頃、外出していた皆がガヤガヤと帰ってきた。
「パア なんで昼間からビールなんか飲んでるの!! 叔父さん(義弟)みたいに
なったらどうすんの!!」
こうして心配してくれる娘がいると救われた気分にもなるが、一方では小うるさい。
平成という時代は
パソコンの画面には新天皇
皇后ご夫妻の顔が写し
出されていた。
いい笑顔だ。
どうか「令和」がこの笑顔の
ように、穏やかで明るい
時代であって欲しいと願う
のは私だけではあるまい。













「令和」が何年続くだろうか、そんなことを考えたところでタイにいる私にとって、
日本は遠いところになりつつある。
なんといっても私は既に、タイに根を張ってしまっているのだから。

※ 写真は全てNHKニュースの映像を借用しています。



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Posted by jinbei at 13:19│Comments(2)日記/一般
この記事へのコメント
元号が変わり数えやすくなりましたね。
平成の事はもう忘れましょう。
なんてね。

ほんと過去とかどうでもいいってか
思い出すのは苦い事ばかり。
その土台で今の暮らしがある。

心新たにタイで令和を刻む。
実り多かれ。
Posted by サコンナコン at 2019年05月03日 11:57
サコンナコンさん
人に語れるほどの人生を送ってきたわけではないのですが、ふとしたことで
思い出し苦さをかみしめる。
そtrも自業自得か。
とはいえ今はタイに根を下ろして家族がいる。
お互いその根を枯らさず育てるしかないんでしょうね。
Posted by jinbeijinbei at 2019年05月04日 13:55
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