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ナムジャイブログ

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Posted by namjai at

2020年12月31日

2020年 我が家の重大ニュース

今日は2020年12月31日、私は今少し酔っているが、我が家のこの1年を
振り返って来るべき2021年を迎えたいと思う。
2020年はコロナで始まりコロナで終わろうとしていて、実際に我が家も
コロナに罹った訳ではないが、少なくとも影響は受けてしまった。
1.私の現役引退
 そもそも72歳で現役ってのは日本ではありえないくらい珍しい事だろうが、
タイでは珍しくも何ともない。
しかしコロナに容赦はなかったのである。
タイに来て定年延長で雇ってもらっていたのだが、それでも70歳ともなると
退職もやむなく、その後タイローカルの会社に勤めたのが2019年1月から
再就職したのだが、タイでも2020年3月頃からコロナが感染拡大。
会社は週3日稼働で、500名の削減計画を提示し私も仲間入り。
仕方ないと思うね、これはタイばかりではなく世界で行われていたことだから。

昭和42年静岡県清水市(今は静岡市)の、新幹線沿いの某自動車関連部品
製造会社に入社、以来設計・開発を担ってきた。
その間徹底して叩き込まれたのは「品質は工程で作り込め」であって、作業
工程だけでなく、設計から量産に至る工程をすべて含んだ工程である。
設計から開発に移籍した時、図面(設計)が悪い・金型が悪い・作り方が悪い
これらは全て「仕事を考えていないお前たちが悪い」と役員に怒られた。
そんな昔がものすごく懐かしい。
















2.ミヤさんのスナック開店と私の専業主夫
 私が仕事を無くすということは収入が無くなるということであり、ミヤさんも
子供達も、私のいないところでどうすべきか話し合ったらしい。
ところが世の中「捨てる神あれば拾う神あり」で、ひょんなことからスナックの
転売の話が転がり込んできた。
丁度 値が底をついたところのようで、私が思うにもかなり安い気がした。
とは言え、その元手があるわけではなく、ミヤさんの名で銀行から借り入れ
ての話である。
まあそれでもこのコロナ騒ぎの中で、なんとか半年は凌いだので、このまま
踏ん張って欲しいものである。



















3.Oビザ取得
 私が職を失ったと共に、当然であるが就労ビザも無効になった。
となると日本に帰国するか、タイに留まるにはリタイアビザ又は結婚ビザを
取得する以外に道はないため、取り敢えずOビザを取ることにしたのだが、
これが結構手間がかかってしまった。
前の会社の協力があったのもよかったが、娘の協力には感謝々である。
結局取得するまで凡そ1ヶ月半かかってしまったが、さてリタイヤビザとの
コストパフォーマンスはいかにである。
しかしまあ、なんとなくであるがイミグレの審査官が我が家にチェックに来た
時には、なんとなく、ああよかったとホッとしたのを思い出す。
















4.加害事故を起こした。
 最近は1週間に2度くらい近所に出かけるのに車を使うが、ミヤさんもあれ
以来送り迎えを要求しなくなった。
 忘れもしない9月22日夕方6時頃、ミヤさんを送った帰りのムーバーン
入り口で車間待ちしていた私は、今だと思ってハンドルを切って対向車線に
入り、車がほぼ直角になったところへ左横っ腹にドッカーンである。
お陰で車は修理に2ヶ月と1週間入院で、その間ちょっとした買い物にも行け
ない有様でもの凄い不便をした。
やっぱりタイは自動車社会で、車がないと何もできないことを痛感した。
そうは言っても車の修理代から罰金・示談金、諸費用含めて20000Bで
お釣りがくるとは思わなかった。
本当に運が良かったと今でも思っている。
矢張り車の運転は慎重が一番だとつくづく感じている。
















5.Lin-Leeの死
 コレはちょっと辛かった。
家には多い時にゴールデン6頭、ポメラニアン2頭ビーグル1頭の都合9頭の
犬がいたが、ゴールデンの2頭(他4頭の両親)はすでに死んでいて、今年
家の中で飼っていたLin-Leeが逝ってしまった。
こいつはミヤさんがチャトゥチャックで見つけた、ポメラニアンとパグのMIXで
元気が良く、ミヤさんよりも私の方に懐いてしまっていた。
しかしいかに元気とは言え、クリニックのドクターから太り過ぎと言われた
くらいで、今年の初めころは寝たきりで、余りに元気がなくなっていたため、昔
かかりつけ脱退者に見せたところ、「もう長くはないと思う」と言われ、それから
4日目くらいに旅立っていった。
たかが犬でも7年も一緒に居て、一番なついていたので本当につらかった。
でもミヤさんと娘と3人で手厚く荼毘に付してやった。
残った犬たちにも同じ思いをするとなると、また辛い思いをすることだろう。





















こんな所であるが、重大ニュースが沢山あっても自慢にならないであろう。
このくらいニュースで済んでいるのは、そこそこの幸せなのかもしれない。
2021年はやっぱりコロナで開けるのであろうが、前半だけであって欲しい
と思わずにいられない。
そのためにはやっぱり自分を大切にし、自己中的なことは慎んで早く明るい
未来につながる2021年にしたいものである。
2020年を締めくくるに当たって、なんとなくおこがましい文章になりましたが
今年1年このブログを見て下さった方、大変お世話になりました。
皆様には感謝していますが、この「シャム湾の風に吹かれて」も、来年1月
中旬頃には引っ越す予定でいます。
理由はブログの許容容量199MBに達してしまうからです。
一度は全ての投稿記事を見直しし、延命したのですがもう容量限度です。
どこのブログに引っ越すかは年明けにご報告申し上げます。

   どうか皆様 良いお年をお迎えください。
  

Posted by jinbei at 17:55Comments(0)我が家の出来事

2020年10月01日

加害事故を起こしてしまった。

この9日間というもの 気持ちの置き所がないというか、不安感やら自責の
念で何も手につかず、ただ無為に過ごしていた。
何時までもこんなことをしていても始まらないし、最後にはなるようにしか
ならないと思い、反省の積りで日記代わりのこのブログ書き始めた。
何も自分の恥を他人様に話すこともないだろうとは思うが、知っておいた
方がいいと思う情報もあるかもしれない。

事故を起こしてしまったのは22日の夕方ほぼ6時で、私はミヤさんを送って
きてムーバーンの前で右折して中に入ろうと一時停止していた。
この道路3241号は直進車両優先路であるため、暫く車間が開くのを待って
いて、モータサイも途絶えたので今だと判断し右折し南進を始め、車が直角
に向きを変えたと思った矢先にドッカーンという衝撃音と共にバババーンと
いう爆発音が聞こえ、気が付くと車はノロノロと反対車線を東進していた。
一瞬何があったのか判らず、頭がクラクラしたのだが咄嗟にブレーキを
踏んでいたようで、ちょうど逆向き駐車したようになっていた。
クラクラしてる頭でミヤさんに助けの電話を入れると、間もなくして友人が現れ
保険会社への連絡やら、何やらやってくれて助けてくれたのだが、この時点
では茫然自失でどう動けばいいのか判らず運転席でボーッとしていたが、
確かなのはどこも怪我はしていないらしいということだけ。
その内にレスキューが来て、事故現場の整理やら双方の状況把握している
ようだった。
漸く自分を取り戻し始めた私は、まず自分の車がどうなっているのか確認
すると、左の前後のドアがぺこりと凹んでいる状態であった。
これでは横からの衝撃をもろに受けた格好である。
















前後のフェンダーの被害は少ないようであるが、ドア下のステップは下側に
押し倒した状態であった。
















このころになると息子の嫁にもミヤさんが連絡したようで、急いで帰り駆け
つけてくれた。
ところで相手側は二人いて、二人ともそれぞれハンドルとインパネに鼻の
上部を打ち付けたらしく鼻血を出して近くの芝の上で仰向けに寝ていた。
こちらは相手のVIOSで、エンジンフードが前方から押しつぶした状態に
なっていた。
















やがてポリスが一人来て保険会社の者に何か告げたが、現場検証する訳
でもなくタバコを一服吸ったあと帰って行った。
保険会社の者は車の被害状況・車体番号・ライセンス番号・私のライセンス
を確認すると、私が日本人であるためかミヤさんの友人や息子の嫁と何やら
話しただけで、誰も現場検証する訳でもなく、従ってブレーキ痕など何も
調べずに事が運んで行った。
この時やっと気付いたのだが、衝突時のあのバババーンと聞こえた爆発音は
何とフロントガラスの左支柱のハンドルグリップ部から、後部補助座席脇の
リアウィンドウに掛けての天井縁に埋め込まれた、エアバッグが全て開いた
時の爆発音であった。
左側の窓が隠されているのは、エアバッグが開いているからである。
















やがてレスキューが手配したと思われる、2台のレッカー車がそれぞれの
車をどこかへ運んで行った。
これで終わった訳ではなく、警察の指示で保険会社の社員と一緒に警察に
行き事故報告書の作成であるが、殆ど保険会社の指示に従って家族が
応対し私がしたこととはその書類にサインしただけである。
警察への報告は全て保険会社の報告書で済んだようで、ここでも私はサイン
させられただけだった。
















この時知ったのだが、車はこの夜はレッカーに積んだままで、保険会社の
指示で翌日それぞれ普段使っている会社(私の場合はTOYOTAシラチャ)
に持ち込まれたようだ。
翌日昼近くにTOYOTAへ行き、補修工事見積・期間などを聞かされた。

あれから9日経つが、今だ示談の話も含めすべてが停まっているままだが、
救いといえば、相手側の二人は鼻血は出したものの、サミテベー病院で
CTスキャンで調べたそうであるが、何も問題がないということでそのまま
帰宅したそうである。
二度と同じ間違いを起こさない、詰り再発防止は今後車の運転は一切しない
というのがあるが、これはタイにいる限り現実味がない。
原因は雨が降りそうな曇った日の、薄暮時の判断の誤り(大丈夫であろう)
なのではないかと思う。
形の上では私は車をぶつけられた格好であるが、直進車両の進路妨害
した私がすべて悪く、そこには事故負担割合などどこにもないのである。
日本ではもう枯葉マークを付ける歳どころか、免許返納をしてもおかしくない
年齢。
これを機に今一度自分の運転を見直してみようと思う。

  

Posted by jinbei at 17:18Comments(4)我が家の出来事

2020年06月12日

嫁さんの誕生パーティー

6月11日はミヤさんの誕生日。
前日息子に、お任せでプレゼントの足しにするよう何がしかの金を渡して
あったが、子供たちが何か用意するだろう。
ケーキなんか買ってきても、ミヤさんのことだからどうせ一口も口にしない。

帰宅して着替え、一服つけていると外が何やら騒がしく、玄関から入って
きたのが若い女性が3人。
勝手に上がり込んできて何やらミヤさんとキャーキャー言いながら楽し
そうに話し始めたのだが、どうやら誕生パーティーを始める雰囲気。
ミヤさんはモーターサイのタクシーにあれやこれやと買ってくるよう注文を
始めると、四人で話しながらビールを飲み始めてしまった。
ホントに女が4人も集まると姦しいことこの上ない。
その内にモータサイが
注文した食べ物を持って
くると、丁度帰ってきた
娘も加わり本当賑やか。







私は離れて一人で飲んでいたのだが、その中に引っ張り込まれてしまった。
彼女たちに家は何処か聞くと、ミヤさんがすかさず「カメーン(カンボジア)」
と言うが、当然タイ人と思っていた私「ヘッ、カメーン?」すると彼女たちが
「チャイ、カメーン、カンプチャ」だと言う。
何故ミヤさんがカンボジア人を知っていて、彼女達が誕生祝いをしてくれる
のか不思議だったが、昨年10月頃から今年初めまで、ミヤさんが知人に
頼まれて飲食店の手伝いをしていた時、ミヤさんが結構面倒見たらしい。
それに今回のコロナ騒ぎで、店も一時閉鎖し彼女たちも大変だったようだが
ミヤさんが家の買い置きなどを供給したようだ。

そろそろ8時近くになると、ミヤさんが「すえひろ(寿司屋)へ行こう」と言い、
テーブルを片付け始める。
彼女のうちの一人が
誰かに電話し「すえひろ」
に来るよう伝えていたが、
それは別として、あれ
だけ飲み食いして今度は
寿司だと。
どうやら日本食は別腹の
ようだ。







宴会に飲み物は水?と思っていたが、ミヤさんがさっさとビールを注文し
てんでに刺身やら寿司やら注文を始める。
よくしたもので店側もビール瓶はテーブルに運んでこず、カウンターの
向こう側でコップに注いでそれを持ってくるようにしていた。
しかし、ビール瓶を持ってこなくても、ビールがテーブルにあれば店が出した
と同じではないか、「頭隠して尻隠さず」と同じである。

食事もほぼ終わり、そろそろ9時(閉店)になろうかとする頃、娘が奥に
行って何やら包みを持ってきた。
黒い箱をミヤさんが
開けると、中身は何やら
造花らしきものだけ。
娘の「箱の下にある紐を
引っ張って。」という声に
従いミヤさんが紐を引き
始めると、後からあとから
テープで繋がった100B
札が出てくる出てくる。
その数ザッと30枚。
これにはミヤさんも大喜
びこの上ない。
ケーキよりよっぽど気が
利いている。



さて9時が閉店なので会計を済ませようとすると、彼女に呼びつけられた
男性が私を制して、自分が払うからとカードを出し勘定をさっさと済ませて
しまった。
たいして飲み食いもしないのになんか気が咎める。

  

Posted by jinbei at 16:44Comments(0)我が家の出来事

2020年03月21日

ステーキとタイの揚げ菓子とハンバーグと

帰宅して玄関の戸を開けると、いきなりプーンとバターの匂いがしてきました。
何か料理を作っているなと思ったら、娘がキッチンから出てきて「パア サワディー、
今日ステーキ作ったから食べて」と、どこか嬉しそうな顔で話しかけてきました。

そうでした、新型肺炎の拡大防止で、大学も18日から閉鎖で休みとなり、恐らくミヤ
さんの指示で作ったのでしょう。
テーブルの上には成程、野菜もたっぷりの豚肉のステーキが載っていました。
着替えて一杯やり始め、摘まみ始めたんですが大分冷めていたから、1時間くらい
前に造ったんでしょうか、タマネギやジャガイモはかなりシンナリしています。
でもそれなりに旨いと思ったとたん、そうだ写真を撮ってない。  


















ご丁寧にソーセージまで添えてあり、肉や野菜も一緒につまんでいたら、これだけで
夕食代わりになりました。
ホント嬉しいですね、何にもしなくても旨いものが食べれて、片付けも要らない。
2週間と言わず、もっと続けてほしいね。

ところがである、次の日も帰宅すると又同じ匂い。
ミヤさんは何も言いませんが、娘が「パア サワディ―、ワンニ― コー ステーキ ダイ
マイ?(お帰り、今日もステーキでいいでしょ?)」と言ってきた。
作ってしまったものは仕方ないし、断る理由もないから「ダーイ、ダーイ」と返事。
焼かれた野菜が多少違うのは、それなりに考えて工夫したんでしょう。
味付けも少し違うようでしたが、これまた美味しく頂きました。

さてまたさらに翌日のこと、テーブルの上にはゴチャゴチャといろんなものが並んで
いましたが、私は何も言わず2階へ行って着替え、階下に降りて晩酌開始。
暫らくすると娘が降りてきて「パア サワディ―、ワンニ― ギン ハンバーグ カップ
カノムね。(お帰り、今日はハンバーグとお菓子食べてね)」と言い並べ始めた。

晩酌を始めた私の目の前に最初に出て来たのがこれだが、どう見ても「梅干し」に
しか見えず「なにこれ、ブーアイ ドーン(梅干し)?」と聞くと「違うポテトのお菓子で、
カイ ノック カ ター トー」と言いますが、何のことやら全く判らない。
確かにポテト味で、
なかはモチっとした
食感でそのまま食べ
てもいいが、ケチャッ
プを付けて食べても
おいしい。
名前の意味を後で
しらべたら、日本風
に言うと「ウズラの
卵風に揚げた菓子」
ってところか。







さてこちらはタイのどこへ行ってもお目に掛かれる、バナナの揚げ物クルアイ トー。
タイのバナナは
小さく食べ易く甘い
ので、わざわざ油で
挙げなくてもいい
のにと思うのだが、
これはこれで中々
旨い食べ物だと
思う。
少ししかなかった
から、娘が半分以上
食べたんだろう。

最近は、日本の
クックパッドでも
作り方が載って
いる。







そしてダメ押しがマックのハンバーガーである。
娘も毎日家にいては退屈なので、多分ロビンソンへ買い物に行き、ついでにマックに
寄って買ってきたんだろうが、この時期人が集まる所にはできるだけ近寄らず、見ず
知らずの人と濃厚接触してコロナなど移されないようにしてほしいものである。
このフライドポテトも
好物だからツマミに
なっていい。
私は洋食派じゃない
が、かといって、
日本食がないとだめ
ってわけでもなく、
サツマイモでもトウ
モロコシでも腹の
足しになればいい
のである。







ミヤさんの食べ物なんかを見ても、手ごろなものを買った来て食べているので、推測
するに 買占めが進む中、家にある米や乾麺はできるだけ手を付けず保存しておこう
という作戦なんじゃないかと思う。

  

Posted by jinbei at 16:04Comments(2)我が家の出来事

2019年06月25日

怪我を負ったチョウショウバト

日曜日遅く起きだした私が階下へ行くと、娘が段ボール箱を何やらガサゴソさせて
「パア、見てこれ」と言って手に軽くチョウショウバトを持って見せてくれました。
「何これ、どうしたんだ」と聞くと、「犬小屋の脇にうずくまっていたので、どうしたのか
捕まえてみたら怪我してる」とミヤさんの説明です。
娘の話だと左脇(翼の付け
根)当たりに怪我を負って
いるようです。
「パア バーンノック(鳥の
家=鳥かご)を買って?」と
言います。
ミヤさんまで口を添えるので
仕方がありません。
買いに行きました。







家に戻ると、娘が治療をしています。
私「この鳥タイ語で何というの?」 娘「ノッカウ」 私「フーン、ノッカウか」と会話に
ならない会話。
左の脇に抉れたような
大きな傷ができていて、
娘が消毒して薬をつけて
やっていました。
こういうのは娘の仕事で、
ミヤさんは手を出さない
というより、血を見るのが
できないのです。











気が強いくせに、注射針が腕に刺さってもきつく目をつぶってしまうほどです。
それに比べて娘は血を見ても傷口を見ても平気で、犬の治療にクリニックへ行って
傷口を開いても平然としています。
ですからこういう時は娘に任せます。
娘の治療が済んで、買って
きたばかりの鳥カゴに入れ
ましたが、逃げようと暴れる
こともなく大人しくして
いました。
鳥かご・エサ入れ・水入れ
エサ代都合400Bの出費
でした。












でも脇あたりに怪我をするって、飛んでいるときに猛禽に襲われたり、パチンコで人に
狙われたのではないかと思いますが、通常この鳥はいつも雌雄でいるのが多いのに、
もう一羽の方はどうしたんだろうと思います。

ところで今日(火曜)昼過ぎミヤさんから電話がありました。
ミヤさんの電話は半分以上は心配するほどのことはないのですが、やっぱり「何か
問題があったのか」といつものように聞きます。
「昼前にイン(娘)に様子を見させたら、傷が乾いていたので逃がしてやった」という
のですが(せっかく400Bも出して鳥かご買ったのに)と言いたいのを止めて、
「大丈夫か?」というと、「自然の中にいたから、自然に帰して直した方がいい」と何とも
判った風なことを言います。
「わかったよ、仕事中だから じゃあな。 プッツン」で会話終了。
傷さえ乾いているようなら、自然治癒ってのが一番いいと私も思います。
それでももしこれが、毛が抜けた皮膚病の塊みたいな野良犬が怪我していたらどうした
だろうと思います。
いかなミヤさんでも恐らく放っていたでしょう。
では鳥インフルエンザが流行っていた時ならどうしただろうか?この場合でも恐らくは
手は出さなかったでしょう。
うっかり手を出したがため、我々の知らない伝染病を持っているかもしれないと、後から
思いましたが、注意して判るもんでもなし、迂闊に手を出さない方がいいでしょうね。
400Bのタンブンでした。

  

Posted by jinbei at 17:07Comments(2)我が家の出来事

2019年06月22日

息子の大学入学

朝起きていつものように一服点けて外に出ようとすると、玄関先に
息子の作業靴があります。
今日は土曜日ですが、通常の出勤日の筈だがと思い外をブラブラ
して家の中に入り、朝食の準備をしていると、息子が学生っぽい
服装で下りてきました。
そういえば4~5日前、この白いワイシャツは娘がプレゼントした
ようでした。
私が「あれっどうした
んだ?」息子「大学」。
思い出しました、
息子は今日から土
日は大学に行くこと
になり、その初日だっ
たのです。






息子は以前のブログにも書きましたが、専門学校のカレッジまで
進み日本式に言えば重電を学び、当時私が勤めていた会社に
2年前に入社しました。
勿論私は口添えなど一切しなく、入社して何かあっても会社の中
では他人と同じだと、ミヤさんにも本人にも言ってありました。
2年の間で、承知はしていただろうけれど、タイの学歴社会は
甘いもんではないと思い知らされたようです。

兵役については、2年前くじ引きで黒いカードを引き当て免除に
なっているので問題ありません。
大学は今年3月だったか4月の頭だったか、試験を受けて入学を
決め、4月の末にはブアック(出家)も済ませました。

大学はバンプラ(シラチャとバンセンの中間)にあるラーチャモン
コン工科大学でやはり重電を勉強するようです。
月曜~金曜は仕事、
土日は大学。
そうして車の月賦と
大学の費用を払い、
大学を出たら家の
購入資金を貯める
ような計画です。






大学を出たら、電力供給会社に鞍替えする積りのようですが、実は
その電力会社も、血族知人・友人で固められていて、空きがあると
そういう仲間内で埋まっていくと聞いていますから、その中に
潜りこむのは容易ではないと思います。
それだけ給料も、福祉などの待遇も公務員並みのようです。
とは言え自分の人生、自分なりに決めているようですから、若さで
思いっきりやって欲しいと思います。

70歳の爺さんはそばで見ているしかないのです。


  

Posted by jinbei at 15:34Comments(4)我が家の出来事