2019年04月30日
暑季のさ中に
ソンクラーンも終わり、早4月末になり、このところ明け方涼しい日もあり、
スコールも来るようになったので、雨季が近づいていると思ったのだが、
スコールも来るようになったので、雨季が近づいていると思ったのだが、
どうやらそうでもないらしく、雨季入りはまだ一月先のようである。










息子の還俗で朝早くお寺
へ行ったのだが、家に
着く頃には晴れ渡った
空に僅かばかりの雲が
あるだけで、また暑い
一日が始まるのだろう。
朝食を摂る前にタバコを吸いながら家の周りをブラブラする。
ファラン(グァーバ)の花、
ナシの花のような白い花や
まだ蕾のもの、既に小梅の
種くらいの実をつけている。
この暑い季節にグングン
大きくなっている。
すぐ近くに植えてあるマナオ(丸いタイのレモン)にも白い蕾が付いている。
こんな小さなものでも、
水遣りを欠かさなければ
果実をつけて返してくれる。
うれしいものである。
こちらは今年40個以上も実をつけてくれたマンゴーで、既に採り尽くしてしまったが、
新芽が出始めて、木の大きさが一気に膨れ上がった感じがする。
第2陣の花芽も出たが、
暑気の暑さに耐えられな
かったのか、それらに付いた
実は全て落果してしまい、
第2陣の実の望みはなく
なってしまった。
でもいいんです、来年もまた
沢山実をつけてくれるだろう
から。
家の中から「さっさとご飯食べて、暑くならない内にマンゴー植えてよ」とミヤさんの声。
全くうるさいタイ嫁である、「植えてよって言ったって俺は頼まれた覚えはない」という
言葉を飲み込んで早速食事の支度である。
休みの食事は最近また日本食になったので、自炊しなければならない。
朝はキャベツの炒め物にベーコンを炒めて添える程度でいたって簡単。
最近は糠床も放ってあるので、早く片付けないとミヤさんが何を言い出すか判らない。
気力が萎えてるって時は動くのが辛いのだが、動けば余計なことは忘れられる。
「このマンゴー買ったのか?どんなマンゴー?」と私、「・・・丸っぽくて大きくなる」
全く言葉足らずのタイ女。
しかし朝食を早く済ませて暑くならないうちにと腰を上げる。
どこで買ったか知らないが、
まだ私の足の長さ程度で、
暫くは水遣りをしっかりやら
ないと根付かない。
実をつけるのはまだまだ
先であるが、楽しみである。
マンゴーを植え終わって、一服つけながらブラブラ、汗かいた体に日差しは強いの
だが、ソーイを渡ってくる少しばかりの風が心地よい。
このカヌンはこの3年ばかり、50個近い実をつけ摘果するのだが、よく実をつけると
近所から羨まれている。
3月の始めに余計な枝は
バッサバサ切ってしまい、
見た目は枯れた立木の
ようになってしまったが、
暑気の暑さにもめげず
こんなに芽吹かせた。
こちらは街路樹のプルメリア。
暑気の暑さなど何のそので、
綺麗な花を咲かせて目の
保養をしてくれる。
近くに顔を寄せると僅かに
甘い香りのする花である。
これが咲き誇ると見ごたえ
がある。
家に入ってシャワーを浴びて一休み。
午後になって外が急に暗くなったので外へ出てみると、スコールが来るようで東の
方から黒雲が広がってきている。
もうこうなってくると雨が降り
出すのは数分もたたない
であろう。
雷も聞こえ始める。
ポツッポツッと降り始めたので家に戻ろうとしてマンゴーの幹にふと目をやると、そこに
一匹のトカゲ。
からかってやろうと思った
のだが、そんなことしてると
雨脚が強くなり始めたので、
急ぎ家に入りながら一句
ひねった。
スコールに
トカゲのお前も
雨宿り
スコールが去って一日の終わり、きれいな夕焼けである。
明日から又暑い日が続くで
あろう、雨季入りはまだ一月
先のようである。
もうあと3日もすれば5月となるが、息子は出家が終わったからと言って一つの節目を
通過しただけで、5月からは次なる試練が待っている。
娘は高校・大学と進んだのだが、息子は家のことを考えたらしく専門学校をカレッジ
まで進んで就職した。
しかしタイの社会は学歴社会で、その洗礼を受け働きながら大学へ行く決心をした。
その入学が5月に控えているのである。
自分の人生であり、とにかく一つづつこなしていってほしいと思う。
今日は息子の節目の日でもあったのだ。
2019年04月29日
還俗
朝5時アラームで目を覚ますと急いで身支度をし、息子が還俗するために
前夜準備したタンブン用の花や水を持ってお寺へ向かう。
前夜準備したタンブン用の花や水を持ってお寺へ向かう。
勿論何某かのお金も封筒に入れて準備。
5時半には本堂に入らなければならないが、まだ外は真っ暗である。




夜が明けきらぬ寺という
ものは危険を孕んでいて
怖いが、それはお化け
などというのではなく、
犬が一杯で7~8匹に
吼えられながら囲まれ
ると、噛みつかれるので
はないかと不安になるが、
目を合わせずに無視を
しながら進む。
5時半に本堂に入ると、息子も混じったお坊さんが既に読経を始めていた。
これは朝の修行ではなく、
恐らく還俗のための
儀式が既に始まっていた
のだと思う。
読経が終わると、このグループの中の最年長のお坊さんが、息子に一言
二言何か伝えると息子は一旦外へ出て、俗人の服装に着替えてすぐに
戻ってきた。
お顔を見る限り、出家式の時に息子の隣に座ったNo.2のお坊さんのようで
優しい雰囲気の方である。
戻ってきた息子とお坊
さんとで何やら話を
しているようであったが、
最後にお坊さんのお経を
復唱して終了である。
この間およそ20分くらい。
これで僧から又俗人に
戻ったわけである。
全てが終わって外に出ると既に夜が明けていて、息子の顔も確認できる。
出家式のあのだらだらとした、それでいて華やかな雰囲気は微塵もなく、
何ともあっけない還俗式であった。
何とはなしであるが、どこか
やり遂げたという満足感が
漂って見えるのは、贔屓目
だからか。
この後僧坊に戻って片付けをして寺を後にするのだが、帰り方にしきたりというか
決まりがあるらしく、山門(正門)を避けて僧坊の出入りに使用の門を出ると
左に折れて進み帰宅した。
詰り左へ折れて進むということは東に向かって進むのであるが、山門を
出て進むと南へ向かって進むことになる。
この時間と方角は、還俗するときの大事なしきたりのようで、お坊さんの
その時の指示で決まるようである。
これで息子は7日間の出家が終了したのであるが、まだ完全に終了した
訳ではない。
この後の三日間は家で属人の生活をしても構わないが、お寺に通って寝
泊まりし、寺の掃除などを手伝うそうである。
結果として事前準備期間の3日+出家期間の7日+最後の3日の都合13日間の
修行であった。
2019年04月26日
托鉢;僧侶の修行
ソンクランが過ぎ4月ももう下旬で、朝は心なしか涼しくなったようである。



この日(水曜)出勤が少し遅れたが、それで僧侶になった息子を拝むことができた。
托鉢も僧侶としての修行の一部である。
朝6時10分を回った頃、先輩僧侶を前に、二人の僧侶がSoiに現れた。
先頭を歩くお坊さんは、どうも断髪式の時に剃髪してくれたお坊さんのようだ。
僧侶が歩くときは必ず先輩
の僧侶を先頭にして、一列
になって話をせず歩く。
外出の時は履物を履くが、
托鉢の時は裸足である。
余談であるが、僧衣の下に
下着はつけていない。
家の前ではすでにミヤさんが、タンブンの用意をして願いを込めている。
タンブンするものは何でも
いいのだが、朝の托鉢時
には大概温かいご飯や
副食やスープに水、
ジュースがほとんど。
タンブンするときは、タンブンする側も裸足である、もちろん私も裸足になってタンブン
したが、願い事などなく頭の中は空っぽである。
手前の僧が息子である。
黄色のシャツの娘は、
息子の恋人で、現在
我が家で一緒に暮らして
いるが、将来嫁になるのか
今はまだわからない。
これがタイの一般社会で
あるが、中華系のタイ人
家庭はこうはいかない
ようである。
タンブンの品々はお坊さんに差し上げ、この後お坊さんの読経を聞いて終わりである。
朝のたったの5分の事で
あるが、それでも何となく
気持ちが清々しい気になる
のはいいものである。
息子がどういう気持ちでタンブンの品々を受け取っているか知る由もないが、
タンブンの意味やタンブンする側の思いなどとは別に、托鉢をして歩くことの
意味だとか何が修業なのかとかは考えてほしいと思う。
2019年04月24日
息子のブアック(出家);儀式は無事終了
21日(日曜)はいよいよ出家の最後の儀式である。









4人+11人なのだから狭い家の中で、朝5時頃から起きだしてワイワイガヤガヤ、
ウロウロ・オロオロと煩いことこの上ないが、それでも7時には全員お寺に到着。
本番であるため、会社の友人たちも三々五々集まり始め、式を執り行う人の案内で、
昨日と同様に身を清める儀式からだが、さすが朝から氷は入っていない。
身を清めた後は、講堂内で
これまた昨日と同じく出家
本人の御礼なのか挨拶が、
身内から始まりそれぞれの
グループで記念写真。
さていよいよ本番に臨むのであるが、全員で仏具やらタンブンの品々を身内の濃い
順に持って並び、行列を作るところである。
私とミヤさんが先頭だが、
この役目は本当の両親の
役目だったかも知れず、
その両親は結局顔を見せ
なかった。
10日ほど前であろうか、
ミヤさんが「ピーノ 怒らない
で聞いて、私も怒ってるん
だから」と言い出した。
話を聞くと義母が我が家には相談もせずに、勝手に先方に連絡したそうである。
もう20年近くも音信も途絶えているというのに、全くお節介にもほどがある。
それ以来義母とミヤさんはギクシャクしているが、ミヤさんが我慢しているので私が
怒るわけにもいかないが、恐らく先方の方が気を使ったのであろう。
さて子供たちを先導にして行列がスタートした。
笛や太鼓の鳴物、更には踊り手などを雇うと20万B・30万Bトなるそうであるが、
家はごく一般のやり方である。

式を取り仕切る男性の、
「ホ~オ、オ~、オ~」の
奇声に合わせ、全員が
「オー」と叫びながら緩やか
に、本堂を3周する。
暑くてたまらなかった。
さて本堂に到着すると、指示に従って出家者は本堂前に座り礼である。

向かって右のオレンジの
シャツを着た男の人が
ここまでの指示を出して
いた。
出家者は、この人の言う
通り復唱するのであるが、
日本人にはサッパリ
判らない。
下の写真は、既に「息子の出家準備」で紹介したが、出家する者から参列者への
お返しの「おひねり」で、これもタンブンになるだろうか。

1B・2B・5Bのコインを
包んだ「おひねり」で、
全部で999個用意した。
これを節分の豆撒き宜しく
参列者に向かって
バラ撒くのである
出家者はこの後本堂に入るのだが、ここから先は別の男性が式を執り行うらしい。

私とミヤさんが、オレンジ
色の僧衣を手渡したところ
である。
さていよいよここからが山場となる。
ブッダのすぐ前にこのお寺の一番偉いお坊さん、出家者の左右にNo2とNo3らしい
お坊さん、そして左右に5人づつのお坊さんの前で、覚えてきたバーリ語のお経を
暗誦しなければならない。

聞いていたところどうやら
2か所つかえて声がだせ
ないところがあったが、
左のお坊さんが小さな声で
教えたようである。
こうしてなんとか通過しやっとオレンジの僧衣に着替えて、もう一度高僧の前に。
こうして見ると座り方が
ぎこちないが、それでも
一回り大きくなったような
気がしてくる。
もう一度全員による読経の
あと、高僧から長い説教を
聞くのである。
いよいよ大詰めらしく、出家者は本堂入口のブッダ正面に立ち、立ったままでNo.2と
No.3のお坊さんから何か問答のようなことをやって終了した。
何を言っているか判る筈も
ない。
すべてが終了して外に出る。
この日学んだ教えと、短期
間ではあるがこれからの
修行で学んだことを生か
して欲しいものである。
近くで見ている娘は、声も
かけられずにいる。
それほど威厳があった儀式
だと思ったのである。
さて出家のための儀式は終了したが、このイベント自体はまだ終了しているわけでは
ないのである。
お坊さんの食事、それが終わってからの参会者の食事が終了してこのイベントは終了
となるのであるが、小さな子は飽きてしまって可哀想だとも思う。
【豆知識;一般人がお坊さんに対してしてはいけないこと】
タイにおられる人は知っていると思うが、
1.バスやタクシーなどの乗り物で、お坊さんが座っている座席の横が空いていても
女性は横に座ってはいけない。
今回ミヤさんに私が注意されたこと
2.お坊さんの俗世の名前を呼んではいけない。
たとえ自分の子供であっても名を呼ぶのではなく、お坊さん(タイ語;プㇻ)なのである。
3.お坊さんの類別詞は人ではない。
お坊さんが何人(タイ語➡何;ギー、人;コン)来た?ではなく
ギーオン来た?だそうだが、オンをどう訳せばいいか私には判らない。
私は知ってはいたが、今回参会して頂いた日本人は恐らく知らなかったであろうが、
4.葬儀・法要・出家式等のイベントで、お坊さんより先に食事をしてはいけない。
飲み物は問題ない。
郷に入っては郷に従えである。
2019年04月23日
息子のブアック(出家);本番前
土曜日は午前中に準備を終了し、一休みした後2時に再びお寺へ行くが、これから

関係ないことだが、どうして




本番前の断髪式である。
俗人から僧になる前のタムクアン儀式というそうであるが、俗人でもなく僧でもない
存在である。
最初は断髪からで、家族から3回鋏を入れて髪を切り(3回切る)、親類・知人・来客
と続いていく。
本人はハスの葉を広げ、
後で行う剃髪した髪も集め
大きな川へと流すそうで、
流骨と同じ思想のようだ。
断髪が終了すると今度は、お坊さんの手による剃髪である。
水を入れた容器に溜まった
髪も、先のハスの葉に集め
一緒にする。
勿論 眉毛も剃らなければならない。
タイのお坊さんて、入れ墨を
している人が多いんだろう
といつも思う。
このお坊さんだって結構
理知的で運動選手のような
体格と凛々しい顔立ちをして
いるのだが。
こういう見方は偏見かも
しれない。
剃髪が終了すると次が体を清める水掛けである。
水には花びらと香水を入れてあるが、この日はクソ暑い日で氷まで入っていた。
さぞかし冷たかったであろう、最後はガタガタ震えていた。
これも同じく親族の濃い順に
行うのだが、可哀想と思った
のか、途中から氷は取り
除かれたが、水そのものは
冷たいままである。
こうして体を清めて、白の装束に身を包むのであるが、まだ剃髪した俗人に変わりなく
この後まだ儀式が待っているのである。
セットだと言って購入した
のだが、ズボンの方の腰紐
が付いておらず、お寺から
借用。
上着の方も前を合わせる
ヒモもなく仕方なく、ピンで
固定する。
タイの買物は要注意だ。
さてここまでやっと進んだが、次の儀式は7時からだというので、家に帰って腹拵えだ。
一度に続けてやればいいものを本当に疲れる。
でもこんな風に、時間はゆったり流れてゆくのもタイなんだろう。
とはいえ、毎晩晩酌をするわが身は苦しみに耐えない。
さて7時にまたお寺に入りした。
今度は講堂内である。
これまた両親、親族の濃い順に出家者の前で、右端の男性のいうことに従って、お経
なのか何か判らないが、出家者の言葉を聞き礼を受ける。
出家の第一の目的が、両親親族に対する徳を積む(タンブン)のであるから、ある意味
そういうことを行うという宣誓をしているのかもしれない。
そして本日最後の説教であるが、長い読経の後坊さんが教本のようなものを読み
ながら、出家者に説教を行ってこの日は終了。
お坊さんが持っているのは
横書きの教本のようなもの
なので、お経を唱えている
のではないため、三藏の
一つを聞かせているのかも
しれない。
やっと長い長い一日が終わったが、これで出家したわけではなく、本番は21日の
7時から行われる。
この日家に帰って、ミヤさんも従妹たちに囲まれて話が弾み、私も加わって沢山飲んで
しまったが、一夜明ければ本番である。
2019年04月22日
息子のブアック(出家)準備その②
息子のブアック(出家)もいよいよ明日に迫るという土曜日、朝早くからミヤさんに








起こされてタラートに買い物に出かけた。
いつ来ても活気があるタラートの雰囲気は元気が出ます。
私は特に買いたいものが
ないため、ミヤさんの
荷物持ち。
まず野菜や漬物等々私より
手際よく買っていく。
豚肉やエビ、ルークチン(練り物で、豚肉、鶏肉、魚肉などそれぞれある)なども買い
入れます。
この日のブタはどれもどこか
ムッとしたような顔をして
いたが、大抵の場合は
笑っているような感じだ。
さてお次は仏具である。
シラチャのタラートは、門前町を小さくしたような趣があり仏具屋も多い。

枕や僧衣、托鉢の鉢など
息子が使うものの用意だ。
本当はこれらの品々は無理して用意しなくともお寺にはあるようであるが、一般的には
各自用意していくらしい。
それはそうであろう、金がなければ僧に慣れないなんて道理はないはずである。
最も裕福になればなるほど立派な道具を用意するらしい。
ミヤさんは実の子ではないにしても、やっぱり母親らしいことはしてやりたいと言って
多少は見栄も張っているのだろう。

因みにどれくらい掛かった
のか確認したら、約4500B
くらいと言っていた。
まあ、贅沢させる訳でなし、
私の懐から出ているのでも
ないので、それ以上は何も
言わなかった。
家に帰って、前日用意したらしいお坊さんやお寺へするタンブンの品々を車に乗せる。

お坊さんへはミルクや石鹸
歯ブラシや薬のセットなどを
包んであります。
お寺へは重箱やヤカン、
調味料などである。
これらを持って息子の住む僧坊に一旦預け入れるという。
息子はすでに18日からこちらの僧坊に寝泊まりし、僧になるためのトレーニングをして
いるが、どんなところなのか興味があるので中に入ってみた。

部屋の広さは4畳半位で、
仏壇だけであとは何も
なく、タイル張りの床に薄い
センベイ布団を敷いて寝
起きしているようである。
・・・・で、ここまでは息子のための準備であるが・・・・。
案の定である、ブリラムから故義父の兄弟子供5人、ミヤさんの従妹が3人、義母が
既に10日も前から孫二人を連れてきているため、リビングと普通の部屋が3部屋は
我々4人+11人でゴチャゴチャである。
最もブリラムの5人とミヤさんの従妹たちは、寝るところさえあれば雑魚寝で問題が
あろうはずはない。
問題は食事である。
まさか外へ食べに行けとも言えず、そのためのタラートへの買い出しでもあった。

豚肉のルークチンとニワトリ
の足がたっぷり入った
赤カレー。
これは、ソーメンにかけて生野菜をたっぷり入れて食べるとおいしいのである。

ピリッとしたカレー味で、
義母の得意の料理の一つ
である。
私にしてみれば、義母が
いる理由はこれ以外ない。
朝から何も食べてない私は
2杯食べましたね。
もう一品作ってくれたが、野菜はチンゲン菜の漬物がメインで、これだけでもご飯の
おかずになるのだが、これの味付けがスープの味付けになっているのである。

これはチンゲン菜の漬物と
豚肉を煮たもので、これは
ご飯にぶっかけて食べる
のだが、ちょっと酸っぱくて
食欲をそそる。
何はともあれ、ここまで来てしまうと、あとは午後のタムクアン儀式と日曜に控えた
出家の儀式が無事に終了することを願うだけである。
2019年04月19日
着々と進む東部幹線道路の拡幅整備事業
ソンクラン休暇も17日で終了し、18日からまた仕事である。








仕事始めは片道94kmの通勤から始めるため、朝5時過ぎには起きだす
のだが、休暇で鈍った気持ちと歳のために、気が萎えているのが分かる。
気持ちを奮い立たせて行くしかない。
チョンブリバイパスから34号(バンナー・トラート)に入って、今度は3号
(スクンビット道路)をサムローンに向かう。
たった1週間通らなかっただけなのだが、少し工事が進んだように思える。
大体タイの工事って遅々として進まず、日本のように日増しに進度が見える
ようなことはほとんどない。
この3号線だが、チャチェンサオ県側は片側1車線でサムットプラカン県に
入ると2車線に変わるのである。
サムローンと言えばTOYOTAやISUZUがあり、自動車関係の部品工場も
集まっているところの一つでもあるため、大型トラックがガンガン走っている
ところであり、331号を経由してレムチャバン港やウタパオ空港・ラヨーンを
結ぶ幹線道路でもある。
下は、チヤチェンサオ側で片道1車線しかなく、この時間まだ7時前のため
車の量はまだ少ない。
左半分は拡幅する部分で、これから舗装の工事となる筈である。
こちらはサムットプラカン側で片側2車線である。
この2車線の道路を更に拡幅する予定のようであるが、この辺りは粗方
拡幅は終了しているようで、あとは舗装工事を待つ状況だと思われる。
では完成予想はどうなるか、ありましたよ立て看板が。
ただ完成予定はいつ頃になるのか読み取れない。
中央分離帯を設けた片側3車線が完成予定のようだ。
さて次は通常の通勤路である331号であるが、こちらもかなり進んだが上も
道路が走るため、完成はまだまだ先であろう。
さてこちらは通常通勤するのに使っている331号線の、ヘマラート交差点
から見た工事風景で、下が昨年10月初旬の写真である。
写真中央より左寄りが、従来の車線である。
右寄りの車線は新しく追加される車線となる。


こちらは現在進行している工事風景、半年経っているので大きく変わって
見えるが、やっぱり進度が遅い感は否めない。
更にイースタンシーボードから331号に出る交差点の写真で、同じく昨年10月の
状況である。

半年後の状況がこちらであるが、やっぱり工事が遅い感はぬぐいきれない。
ともあれ早く完成してほしいものである。
こちらが完成予定図だ。
タイのあちらこちらでこの暑いのに工事が進行しているが、一方でこういう工事による
PM2.5の影響も心配の種である。
最近タイ人でマスクを着用している人を、特に通り沿いで多く見かけるが、PM2.5の
自己防衛だろうが、雨季が軽減してくれるかもしれない。
そういう意味では雨季はもう一つの恵みの雨であろう。
2019年04月18日
コオロギと蚕のサナギの唐揚げ
ソンクラン休暇も最後だという昨晩のこと、晩酌中の私のそばで息子のブアッㇰの
ために早めに来ている義母と息子が、「・・・をセブンの近くで売っていたけど食べる?」
「食べたいから買いに行こう」とか話して出ていった。
ミヤさんに聞くと、セブンの近くでやっている屋台に何かを買いに行ったようである、
暫くして義母と息子が返ってきたが、義母の手には何か黒っぽいものが入った袋が
ぶら下っている。
「ノ これは美味しいから食べなさい」と言いながら、深皿に盛りつけたものを
つまみながら私の前に置いた。
なんとコオロギと蚕のサナギの唐揚げである。
唐揚げといってもタイのこと、油をよく切ってないため、油でギラギラしている。
でもこれ美味しいんである。
茶色っぽいのが蚕のサナギで黒いのがコオロギである。
蚕のサナギはどことなく甘くミルキーっぽいのである。
ミヤさんが横から手を出し、4~5個スプーンに取り食べながら「これはミルクっぽくて
すきだけどコオロギは食べない、イナゴはいいけど」とのたまう。
どちらかというと私はコオロギの方が好きなのである。
コオロギの方が喉越しの風味というか、何となくどこか「えびせん」に似ている。
否 私がそう感じているだけで、他の人はどうか知らない。
タイ人にとって(否イサーン人)にとって昆虫は貴重なタンパク源なのであり、決して
ゲテモノ食いではない。
義母はいサーン人ではないが、死んだ義父がブリラムの人だったから、義母も昆虫を
口にするのは別に問題ないのであろう。
戦後の日本でもイナゴの佃煮は手頃に手に入って、私も食べた思い出がある。
2019年04月16日
健康公園の身近なリス達・・・シラチャ紹介
休みに入ってタラートへ買い物に行ったついでに、撮りたい写真があるため





この後どうするんだろうと思い、元来た方向にちょっと移動したら、こいつもまたまた
スカパープパーク(健康公園)に行ってみた。
シラチャはもともと小さな漁村であり、東部の工業団地群ができるとともに
日本人が住むようになり、商業が発達し人が集まってきたところである。
したがってソンクラーンに入ると、日本人も含めて人々はそれぞれ故郷へ
帰るため、人や車も一気に少なくなる。
この公園も、運動している人がいつもより少ない。

しかし私は運動している人たちを撮影に来たわけではなく、撮りたいものが姿を現さ
ないため、どうしたものかと公園の中をブラブラしていた。
すると可愛いものが近くにいるので、夢中になって撮影を始めた。
なんといつも公園の東側の高い木の上の方にいるリスが、反対側の海岸寄りの低い木
の周りにたくさんいたのである。
このリス警戒感が強いのか、カメラを向けるとサッと隠れ、少し離れると隣の木へ
ピョンと飛び移り、こんなポーズをとってくれました。
この黒い奴は、それまで木の下の草むらにいたのだが、私が近付いたら慌てて近くの
木に飛び移りました。
黒と白の綺麗なバランスのリスですが、何となくしっぽが貧弱。
更に先へ進むと、暗灰色のリスが枯れ枝の先端でうずくまっています。
こいつは怖いもの知らずなのか人に慣れているのか、先ほどのリス達より近づいても
逃げないでいたのでパチリ、目が大きく可愛いのである。
私が木を離れたらササッと下に降りてこんなポーズをとってくれましたが、よっぽど
警戒心が薄いリスなんだろう。
この後どうするんだろうと思い、元来た方向にちょっと移動したら、こいつもまたまた
元の枝の方に移動しましたよ。
こうなると可愛いのでまたパチリです。
よく見ると、ほかのリスよりも健康的と言うかデブっぽい。

さらに先へ進むと、じっとこちらを見ているやつがいます。
さらに先へ進むと、じっとこちらを見ているやつがいます。
しかも道路まで降りてきていますが、地上のリスはこの時始めてみました。
5m位まで近づいても動かずに、写真を撮らせてくれました。

ちょっとからかってやろうと更に近づこうとしたら、サッと側道脇の木に逃げましたが、
ちょっとからかってやろうと更に近づこうとしたら、サッと側道脇の木に逃げましたが、
まさに「その速きこと風の如くに」です。
隠れるわけでもなく顔を覗かせてこちらを見ています。
こいつも目鼻立ちがしっかりしていて可愛いやつでした。

先の奴からちょっと離れた左手に目を移すと、幼児の滑り台の下にじっとしている
先の奴からちょっと離れた左手に目を移すと、幼児の滑り台の下にじっとしている
リスが目に入ったのでソーッと近付きます。
何をしているわけでもなく、滑り台の下でじっとしているだけです。
あたかも暑季の日差しを避ける如くに。
一句ヒネリました。
木鼠も 暑季の日差しを 避けるかな

この日は買い出しのついでによったのであるが、本来の目的には出会えなかったが、
この日は買い出しのついでによったのであるが、本来の目的には出会えなかったが、
こういう自然に出会えるのもタイならではないだろうか。
ともあれ楽しい一時と、ブログネタを提供してくれたリス達に感謝しなければなるまい。
2019年04月14日
日本食三昧のソンクラーン休暇・・・男の食彩⑲
本当に良くしたもので、ソンクラーン休暇に入った途端にスコールなど一度も









なく、毎日焼付くような暑い日が続いている。
1週間の休暇も、早くも今日は折り返し点の14日である。
11日から始まった休暇の食事は、思いっきり日本食三昧であった。
普段タイ飯が中心だし、私には簡単に料理できないからかもしれない。
【11日朝】
塩ジャケに冷やしトマトを添えて、みそ汁は油揚げの味噌汁。
塩ジャケはサーモンステーキ用の切り身を買ってきて、半分に切って骨をとり
塩をまぶして、冷凍庫に放り込んであるのでいつでも食べられる。

【11日昼】
昼はカツ丼である。
こんな簡単なものはない。
家の冷凍庫には、レトルトのトンカツを買って放り込んであるので、「ツユの
素」を適当に薄め、刻んだタマネギをほうり込んで、適当に切ったトンカツを
暫く解凍させながら煮込んだところへ、溶き卵を掛けるだけである。

【11日夜】
夜は晩酌した後なので、ご飯は控えている。
この日は「味噌野菜ラーメン」にした。
生のラーメンを茹でている間に、少量のキャベツ・タマネギを刻んでモヤシを
加えて油炒め、ラーメンが煮たったところへ「味噌の素」を入れてドンブリに
移し、炒めた野菜を加えてラー油を振りかける。
美味しい野菜味噌ラーメンでした。
【12日朝】
キャベツ炒めにベーコンを乗せて、これに冷やしトマトを添えました。
みそ汁は長ネギの味噌汁で、「お麩」も加えています。
【12日昼】
以前にも紹介したが、簡単に牛丼である。
すき焼のたれもあるし、タマネギと牛肉さえあれば10分もかけずにできてしまう。
世の中楽になったものである。
【12日夜】
晩酌の後支度するのが面倒になり、この日の夕食は娘が作った鶏肉とトマト
のスープをご飯(タイ飯)にぶっかけて食べましたが、ジャガイモが思いの他
旨かった。 娘も最近色んなものを食べさせてくれるので楽しみでもある。
【13日朝】
「鯖の塩焼き」に野菜サラダと「冷奴」をそえました。
サバは近くのミニロータスで売っている塩サバ用2枚入りパックで、これも
いつも冷凍庫に入っている。
みそ汁は「ワカメの味噌汁」に「お麩」を加えています。
【13日昼】
この日はソンクラーンだからと、普段は昼間から飲むことはないため、勝手な
言い訳を作って、昼前からビールを飲みだした。
ツマミは落花生を煎ってポリポリ、2本開けたところで昼飯準備。
「豚生姜焼き」なので、ツユの素にしょうがを擦って入れ、それに豚肉を30分
寝かします。この間にもビールをグビグビです。
キャベツの千切りを予め皿に盛っておき、タレごと焼いた生姜焼きを盛り
付けます。
これに朝準備したJinbei特性「野菜スパゲッティサラダ」を添え、漬物は趣を
変えてキムチを付けた。
私はタイに来た時から自炊していたのだが、その頃と比べると随分と
メニューが増えたと思う。
これは覚えようという気持ちがあったのも確かだが、タイは日本食材にしても
調味料にしても、簡単に手に入るからだと思っている。
日本人はサルでもあるまいにすぐに群れたがるが、一人であることを自覚し、
自分で作ったものを食べながら、自分を見つめるってことも必要であろう。
何よりも外食するよりよっぽど安上がりである。